妙行寺 縁起
-
当寺は日蓮宗正悦山妙行寺といい、昔は此の地より二丁程東方にありて、正起山本行寺といい真言宗の大伽藍地なり。 永人二年日蓮宗の僧日像菩薩京都弘通の為御通行の折受法し、日蓮宗に改宗す。その後堂宇悉く焼失し、年経て天文年間日勢上人正悦山妙行寺と改め再建す。 今の山号寺号これなり。
慶長十五年加藤清正公、家康公の命に従い諸大名と共に名古屋城築城の折、その余材と普請小屋を貰いうけて、妙行寺を清正公誕生の地に移し、ご先祖ご両親の菩提をとむらう為に再建す。 清正公堂に安置せる御肖像は、肥後本妙寺第三世日遥上人の作なり。 上人の父は朝鮮慶尚道河東の人、姓は余、名は寿禧、字は天甲という。 上人は十二才の時清正公に虜われ、日本に連れ帰らる。 上人は清正公の御仁徳を慕い、本国に帰るを欲せず、出家して日蓮宗総本山身延久遠寺に修行し、後に清正公の建立せる熊本本妙寺の第三世住職となる。 人呼んで高麗遙師という。慶長十六年六月二十四日清正公御逝去の後、日遙上人は清正公の御尊像二体を彫刻し、その一体を本妙寺に安置し、他の一体を清正公誕生の地妙行寺に寄贈さる。 清正公堂に安置せる御尊像之なり。
因に山門を入ると右に鐘楼堂、正面には清正公の銅像が魏然として聳えている。 昭和三十五年四月、清正公三百五十遠忌の際、清正公奉賛会により建立されたものである。
-
宗派日蓮宗
-
寺院名正悦山 妙行寺
-
住 所愛知県名古屋市中村区中村町字木下屋敷22
-
電 話